新約聖書ヨハネの福音書の一節。

もし一粒の麦、地に落ちて死ななければ、
ただ一粒のまま残る。
しかし、死ねば、多くの実を結ぶ。

落葉が堆肥となるが如く、地に落ちて死んだ一粒の麦は、
やがて多くの実を結ぶ麦へと生まれ変わる。

「ゆずりは」という樹がある。
楪という字を当てる。青々と茂った樹。
ゆずり葉は新しい葉が出来ると入れ替わって古い葉は落ちる。
厚い葉でも大きな葉でも新しい葉が出来ると
無造作に落ちて新しい葉に命をゆずる。

中国の古典「李紳」に有名な言葉がある。

粒々辛苦

穀物の一粒一粒は農民の辛苦の結晶であるということであり、
転じて物事を成し遂げるために、こつこつと苦労を重ね、
努力を積むことを言う。

よって我々のこの集いを、
上記の思いを込めて粒々塾と名付ける。

自らが学び、育み、次の世代へ何かを伝えていくために。

少にして学べば 則ち 壮にして為すことあり
壮にして学べば 則ち 老いて衰えず
老いて学べば  則ち 死して朽ちず

儒学者、佐藤一齋の言を当塾の指針としたい。

平成という時代になって早や20年余り。
昭和という時代は過去になった。
人々は「個」を重んじ、安逸をむさぼり、
利便性を多とし、若者たちは気概を失った。
坂の上の雲を目指した明治の若者は、
その坂を登るために自らを磨いた。志をもった。
そんな気概をもう一度取り戻し、今の世に生きる者として、
あらためて学ぶことを始めたい。

禅語に曰く。「照顧脚下」と。足元を見つめ直そう。
足元を深く掘ることが将来へつながる。
そのためにも、例えば宗教、文学、哲学などの
幅広い教養を身につけることが求められる。
専門的な経営や学問的知識の他に、人間としての知識を。
本塾は、それら自己研鑽の鳥羽口として、
こころある若者達の集いの場を目指す。

平成22年4月   瀬川 賢一